お話を伺ったのは▼
LGBTs啓発団体 PRIDELINK代表
羽賀風真さん
1995年生まれ。FtM(Female to Male)であり、高校、専門学校へカミングアウトして通う。自身の経験を次世代につなげたいと、2021年より出身地である新潟県三条市で、パートナーの長谷川玲奈さんと共にLGBTs啓発団体「PRIDELINK」を立ち上げ、セクシュアルマイノリティのための活動・発信を行っている。
近年、多く目にするようになったLGBTという言葉。
何となく知っていても、まだまだ分からないことが多いという先生もいらっしゃるのではないでしょうか。
LGBTとは、セクシュアルマイノリティ(性的少数派)の総称の一つで、「レズビアン」「ゲイ」「バイセクシュアル」「トランスジェンダー」の4つのアルファベットの頭文字をとった言葉です。
レズビアンは「女性の同性愛者」、ゲイは「男性の同性愛者」、バイセクシュアルは「両性愛者」、トランスジェンダーは「性自認(心の性)と身体的な性(生まれたときに割り当てられた性)が違う人」を指します。
「LGBTQ+」と表すこともあり、Qは「クエスチョニング」と「クィア」の意味を持ち、性自認が決まっていない、また性を明確に定義していない人のことを意味します。
+は「プラスアルファ」でLGBTQのどれにも当てはまらない、さらに多様な人のことを指します。
「電通LGBTQ+調査2023※」によると、57,500人を対象としたスクリーニング調査の全回答者に占めるLGBTQ+層の割合は9.7%だったそうです。
※出典:電通グループ、「LGBTQ+調査2023」を実施(https://www.group.dentsu.com/jp/news/release/001046.html)
そのほかにも国内で行われるLGBTの調査において、年々その割合は増加傾向にあります。
また、「SOGI(ソジ)」という言葉も使われています。これは、「性的指向」と「性自認」の英訳のアルファベットの頭文字を取った言葉です。異性愛者やセクシュアルマイノリティ関係なく、すべての人が持っている属性(好きになる性、心の性)のことを指します。
性的指向・性自認に対して、差別や嫌がらせをしたり、望まない性を強要したりすることを「SOGIハラ」といいます。
統計上、セクシュアルマイノリティの学生は学校やクラスに一定数いる可能性が高く、無意識に「SOGIハラ」をしてしまっている場合があるのです。
そこで今回は、LGBTs啓発団体「PRIDELINK」の代表であり、トランスジェンダーの当事者である羽賀風真さんにお話を伺いました。
トランスジェンダーであることを隠さず過ごした専門学校時代の経験や、実際に体験した学生時代のSOGIハラについて教えてもらいました。
目次
違和感を感じ続けた子供時代
――ご自身のセクシュアリティ※を自覚した時期やきっかけについて教えてください。
羽賀さん:自分自身がトランスジェンダーと自覚したのは、高校1年生の秋でした。
知り合いにいわゆるセクシュアルマイノリティと呼ばれる人が多く、SNSのプロフィール覧に一言「FtM※」と書いてあったんです。当時は言葉の意味が分からなくて、ネットで調べてみたら「トランスジェンダー男性」と書かれていて。自分に当てはまることが多く「これだ!」と思いました。
それまではずっと自分が何なのか分からなくて。やっと謎が解明してすっきりしました。
※セクシュアリティ……性のあり方全般のことを指す。
※FtM……Female to Maleの略語で、性自認が男性、身体的な性が女性である人のこと。
――自認する以前、子どものころはいかがでしたか?
羽賀さん:両親によると、自分では覚えていない小さい頃から兆候はあったそうです。男の子向けのものを欲しがったり、かわいい服よりかっこいい服を着たがったり。そういった趣味嗜好の面以外でも、かわいいと言われるよりかっこいいと言われたい、かっこよく見られたいという気持ちが常にあって。
自分としては、違和感というよりも不思議な感覚でした。
――はっきりと違和感が出始めたのはいつ頃ですか?
羽賀さん:小学校高学年のときに、初めて女の子を好きになったんです。そのときに「それが一般的でないこと」だと思って。誰にも言えなかったし自分自身でも「女の子に対してこういう気持ちになるのは変だよな」と思って。
当時「同性愛」「レズビアン」という言葉自体は知っていたんですが、それが自分には全く結びつかなかったんです。でもそれが何なのかは分からなくって。自分は変な人間なんじゃないかと違和感を持っていました。
――中学校時代はいかがでしたか?
羽賀さん:違和感はありつつも、本来の自分を出せずに周りに合わせていました。自分は変な人間で、それが伝わったら嫌われてしまうんじゃないかと考えていました。親も喜ぶので、頑張って女の子らしくしてみたりとか…。でも続かなくて。
ちょうどその頃、雑誌の中で「男装ファッション」というものを見つけたんです。男装ファッションなら誰にも咎められずに男性的な恰好ができると思い、そこからは男の子っぽい恰好を堂々とするようになりました。
そうすると、だんだん心と外見が合わさっていく感覚がしてきて。ちょうどそのタイミングでセクシュアルマイノリティの友人が増えてきたんです。いろいろな性があることを知っていく中で、「自分は中性的な感じなのかな、でもなんかそれも違うな、男だよな」と考えていたのと、「FtM」という言葉を見つけたのがちょうど同時期でした。
――学校の制服はどうしていましたか?
羽賀さん:中学校の制服はスカートをはいていました。
高校のときも最初はスカートをはいていたのですが、性別を自認してから一切はけなくなって。
すぐに家族や学校にカミングアウトをして、制服をズボンに替えました。
家族、先生へのカミングアウトで心がすっきり
――自認してすぐにカミングアウトしたんですね。
羽賀さん:最初は、母に伝えました。制服のズボンを持って行って「これをはきたいんだけど」と。「なんで?」と聞かれたので、率直に「自分は男になりたい、だからズボンをはきたい」と言いました。
何と言われるかドキドキしていたのですが、母はすごく得意そうな顔で「知ってたよ」と言ったんです。
それから父親と三人で話して。「ズボンをはくのはもちろんいいよ。性別違和に関しては私たちもあまり知らないから、これから一緒に考えていこう」と言ってくれました。
家族へのカミングアウトはすごくすっきりしたし、言ってよかったと思えるものでした。
高校へは担任と生徒指導の先生に「制服でズボンをはきたいんです」と伝えました。
すんなり「いいよ」と言ってもらいました。担任の先生がすごく理解のある先生で、時間をしっかりとって思いを全部聞いてくれたんです。
後から聞いた話では、母が担任の先生に「カミングアウトされたけど、実際どうやってこれから接したらいいか、進めていいか分からない」と相談をしたそうなんです。
先生は「お母さん、私も分かりません。分からないので一緒に見守っていきましょう」と言って、その言葉が母の心にすごく刺さったそうです。
先生に特別大きな配慮や支援をしてもらったわけではないんですが、カミングアウトしてからの2年半ずっと見守ってくれていたんだと今では感謝しています。
――すごくいいご家族と先生ですね。ご友人との関係はどうでしたか?
羽賀さん:友人には改まってカミングアウトしたわけではありませんでした。
徐々に自分が変わっていって、それを見守ってくれた感じです。
むしろ「そっちの方がいいよ」と言ってくれたり、彼女ができたときには盛大に祝ってくれたり。周りにすごく恵まれていたと思います。
――羽賀さんご自身は自認されてすぐにカミングアウトをされましたが、カミングアウトについてどのように考えますか?
羽賀さん:私自身はオープンな方なのでカミングアウトしましたが、それはただ単に、「オープンでいることが自分にとってラクだから」というだけ。自分一人では抱えきれないものを話すことで、助けてもらえていると実感することが多いからです。
言いたいという気持ちがあるなら言った方がラクになれるかもしれないと思います。
ただ、逆に言わないでいることの方がラクならば、それがベストな選択だと思います。自分にとってラクだと思う方を選んでほしいです。
専門学校入学、先生の言葉で本音が言えず…
――羽賀さんは高校卒業後、東京の専門学校に進学されたそうですが、そこではいかがでしたか?
羽賀さん:入学前にあった担任の先生との面談で「男になりたい人なの?」と唐突に言われて…。急にぐっとラインを越えられた感じに戸惑ってしまい、「そういうわけではないです」と答えてしまったんです。
「そうなんだ~、なかにはそういう人もいるからさぁ」と言われて、その言い方も引っかかってしまって…。
その最初の印象で不安な気持ちになってしまいました。
ただ、あとから分かったんですが、偶然クラスにトランスジェンダー男性がいて。彼は学籍も男性として通っていて、伝えていればそういう配慮をしてもらえたんだなと。
それから、男性用女性用の制服がある学校だったんですが、最初の面談で「トランスジェンダーでない」と言ってしまったので女性用のスーツを着ざるを得なくて…。ただズボンを選べたので先生に「スカートをはくことは絶対ないので、ズボンを2着買ってもいいですか?」と聞いたら「いいよ、好きなのを着なよ」って。
出席を取るときも「羽賀くん」って呼んでくれて、過ごしやすい環境を作ってくれました。
「理解がないわけでなく、いい意味でセクシュアリティにこだわっていない人なんだな」と時間が経つにつれて先生のことが分かってきて、最初の頃の不安はなくなりました。
――ご友人はいかがでしたか?
羽賀さん:最初に改まってカミングアウトしたわけでありませんでしたが、見た目やファッションが男性だったので何となくみんな分かっているような感じでした。
「陰で言われるより、気になることがあるなら面と向かって言ってほしい」という話をしたところ、素直に質問してくれて。それがあって自分のことを説明することができました。みんなあっさり「そうなんだねー」って感じで。特別扱いされるわけでもなく、普通に過ごしていました。
――周囲の理解がある学生生活だったと思いますが、何か印象に残っていることはありますか?
羽賀さん:インターンシップに行く際、配属先の制服がズボンなのかスカートなのか分からなくて悩んでいたところ、担任の先生が卒業生何名かに連絡を取って聞いてくれたんです。それはすごくありがたかったです。
そうやって決まった配属先でしたが、いざ行ってみたらたまたま自分が配属されたセクションだけがスカートで…。ズボンを希望したら、そのセクションではNGとのことで異動に。
ところが異動先はズボンOKだけど、「女らしさ」を求められる場でした。「ストッキングを履きなさい」「パンプスを履きなさい」「化粧しなさい」と言われたり、お客さんからも女性として扱われたり…。
ダメージが大きくて、学校に「インターンシップをやめさせてほしい」と伝えたんですが、なかなかやめさせてもらえなくって。
「女性の恰好をして働いていること、いつもの自分ではないということがとてもつらい」と自分の気持ちを全部話したんですがダメで。
普段の学校生活では過ごしやすい環境を作ってくれたのに、どうして分かってもらえないのかと苦しかったです。
長谷川さん:インターンシップに行けなくなってしまったんだよね?
羽賀さん:女性として仮面を被って働いている自分と男性としての自分とのギャップで、体調を崩してしまったんです。
周りから指をさされて噂されているように感じたり、過呼吸になってしまったりしました。
そうなってようやく先生が折れる形で、予定より1カ月早くインターンシップを終了しました。ただ、自分の気持ちを汲んでくれたというよりは仕方なく…という感じでした。
――体調は回復されましたか?
羽賀さん:インターンシップをやめて1週間ほど地元に帰省したんです。そのタイミングでホルモン注射を始めました。「もういやだ」と勢いで始めた部分が大きかったです。
少しずつ声や体が男性化することでメンタルが回復していきました。声が低くなってきたことで、自分に自信が持てて。友人はその変化を特に気にすることなく、今まで通り接してくれました。結果的にはホルモン注射を始めたことが自分にとっては良かったです。
先生に考えてほしい「一人ひとりに性がある」
――そういった経験をされた羽賀さんだからこそ伝えたい、先生へ望むことや気を付けてほしいことを教えてください。
羽賀さん:LBGTという言葉をいろいろなところで耳にする機会が増え、認知してくれる人が増えてきましたが、まだまだよく分かっていないという人も多いと思います。
まずはLGBTというセクシュアリティがあることを知ってほしい。
LGBTという言葉が普及するにつれ、今後さらに自認する人やカミングアウトする人が増えてくると思います。学生にもいると思いますし、もしかしたら知らないだけですでにLGBTの学生と関わっているかもしれません。
まずはLGBTをきちんと認知してほしいと思います。
次に、もしカミングアウトされたときに大切にしてほしいのが「なぜ自分にカミングアウトしてくれたのか」と考えてほしいということです。カミングアウトはすごく勇気のいることなので、「あなただから話せた」という気持ちを汲んでほしいんです。
困っていることや悩んでいることがあったら、全部何とかするのは難しいと思いますが、「何が嫌か」「何をされるのが嫌なのか」を聞いて、それをしないようにしてあげてほしい。
セクシュアリティを表す言葉は、自分も追いつけないくらいどんどん生まれています。一人ひとりに性があるくらい多種多様なものです。
「今まで自分が思っていた当たり前がみんなにとっても当たり前なのか」根本的に考えてほしいと思います。
――当事者のかたへの思いを教えてください。
羽賀さん:私もいろいろなことに悩んできましたが、結局何が一番解決してくれたかなと振り返ると、私の場合は「時間」でした。その時々で自分の思いや感情って変化していくんです。
高校生くらいときは「早くホルモン注射をして、早く性別適合手術をして、早く戸籍を男に変えたい」と思っていて、治療に執着していたんです。
でも今は「手術しないで戸籍を変えられるんだったらそっちの方がいいな」と思っています。
当時感じていた身体的な違和感と、時間が経った今考える自分の中のセクシュアリティを比べると「早まらなくてよかったな」と思えるんです。だから、相談に来るトランスジェンダーのかたには「もう少しだけよく考えてほしい」と伝えています。
LGBTに関しては、昔よりもはるかに認知されて、周りに言いやすい環境になっています。
もし今当事者で自分に自信が持てないという人がいるなら、もっと自信をもってほしい。自分を主張して生きていく方法はいくらでもあります。近くになかったとしても、どこかに支援してくれる場所があります。
世の中は大きく変わってきているから、「自分自身がどう感じるか」に負けないでほしい、生きることを諦めないでほしいです。
受け取ったバトンを次へ渡したい
――羽賀さんとパートナーの長谷川さんは、出身地である新潟県三条市でLBGTs啓発団体「PRIDELINK」を立ち上げ、セクシュアリティに悩みを抱えるかたの相談や講演会、イベントなどを行っています。「PRIDELINK」の思いや活動内容などを教えてください。
羽賀さん:先ほどお話したように、「生きることを諦めないでほしい」というのが私の一番の願いです。実は、セクシュアルマイノリティの当事者だった友人が、自ら命を絶ってしまったことがあるんです。それが大きなきっかけとなり、LGBTに特化した支援ができないかと考えて。私自身、友人が命を絶ってしまったことや自分自身について悩んでいたときに、トランスジェンダーを公表している有名な人の話を聞いたり、団体の人に相談したりして救われ、考えが180度変わったんです。次は自分が受け取ったバトンを次の世代に渡していきたい。思いを発信していきたいと。
何をどうやって始めればいいか悩んでいたときに、パートナーであり、団体の副代表を務める長谷川さんと出会いました。「私も一緒にやるからやろうよ。団体作ろうよ」と言ってくれて。そこから猛スピードでさまざまな活動に携わらせてもらっています。
2022年に新潟県三条市のパートナーシップ制度導入の署名活動、制度開始後の第1号としてふたりでパートナーシップの宣誓をしました。交流会、講演会も行っています。
長谷川さん:2023年6月にPRIDELINK主催で「rainbowマルシェ」というイベントを、9月には三条市で初めてのプライドパレード※を行いました。今後も毎年開催したいと思っています。
※プライドパレード…多様な在り方を認め、称えあうセクシュアルマイノリティのパレードのこと
羽賀さん:「発信すること」「居場所を作ること」をメインに、今後も活動を続けていきたいと思います。
最後に……
羽賀さんが教えてくださった「LGBTを認知する」「されて嫌だということをしない」という言葉。
理解してほしいからといっても誰もがオープンにしたいと望んでいるわけではないこと、一人ひとり考え方や感じ方、されて嫌なことが違うんだということが分かります。
羽賀さんのご経験にあったように、本人がカミングアウトする前にセクシュアリティについて聞いてしまう、インターンシップを途中でやめることを認めないなど、理解のある先生が本人のためを思ってしたことであっても、つらい思いをさせてしまうことがあるんですね。
どんな場合であっても「その人を尊重しよう」という意識を持って接することが大切なんだということを改めて教えていただきました。
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