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TOP特集インタビュー発達障がいを持つ学生への接し方~「粗さがし」じゃなく「いいところ集め」を~

発達障がいを持つ学生への接し方~「粗さがし」じゃなく「いいところ集め」を~

お話を伺ったのは▼

自閉症スペクトラム支援士/特別支援士/傾聴心理士

堀内祐子さん

発達障がい(自閉スペクトラム症、ADHD、LD)をもつ4人の子どもの母親で、「ゆるみ☆子育て」代表。自身の経験をもとに、2006年より発達障がいや子育て、不登校をテーマに全国で講演。その数は300回を超える。著書は「発達障害の子とハッピーに暮らすヒント」(ぶどう社)、「発達障害の子が大人になるヒント」(ぶどう社)、「発達障害なんてただのオプション」(kindle)など。

次男

堀内拓人さん

堀内祐子さんの次男。1994年生まれ。2014年より母、兄と共に全国で講演を行う。著書に母との共著で、親と子の両方の視点から書かれた「ADHDと自閉症スペクトラムの自分がみつけた未来」(ぶどう社)がある。

近年、「発達障がいの傾向が見られる学生への接し方に悩んでいる」という専門学校の先生の声をよくお伺いします。
そこで今回、発達障がいをもつお子さん4人の母であり、発達障がいについて執筆、講演活動、電話相談や対面相談などの活動を行う堀内祐子さんと、堀内祐子さんの次男で自閉スペクトラムADHDという発達障がいをもつ堀内拓人さんにお話を伺いました。

▲講演を行う堀内祐子さんと長男の謙人さん。

拓人さんは小学校2年生で診断を受けました。中学卒業後に高等専修学校、高校、大学へと進学し、その後就職されて、現在は本業の傍ら祐子さんと一緒に発達障がいに関する講演などをされています。

そんなおふたりから、保護者の目線と学生からの目線、2つの視点で学生時代の実体験や先生に望むことを教えてもらいました。

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先生のおかげでクラスの人気者に。先生の影響ってすごく大きい

―――拓人さんはどういったお子さんでしたか?

祐子さん:診断名としては「自閉スペクトラム症」と「ADHD」ですが、その診断が下る以前から「超多動」でした。発達障がいの子供が4人いる中で、一番多動でした。スーパーでも上の子の参観日でもすぐにいなくなるし、いたずらも子供たちの中で一番激しかったです。さらにアトピー、喘息持ちだったので、小さい頃はそちらの対応が大変でした。
ただ、こうやって話すとすごく大変な子供のように感じられると思うんですが、すっごくかわいい子で。親って、子供に大変な様子を見せないようにすると思いますが、たまに本当にくたびれているときってありますよね。そういうときに、「ママ、ごはん作ってくれてありがとう」と言ってくれるんです。まだ3歳くらいの子が「泣きたいくらい感謝してるよ」と言いながら涙をぽろぽろ流すんです。いたずらは激しいけど、そういった一面もあってとても愛らしい子でした。

※自閉スペクトラム症……人とのコミュニケーションが苦手であったり、強いこだわり行動といった特徴がある発達障がいの一つ。

※ADHD……注意欠如・多動症などの特性をもつ発達障がいのこと。

―――小学校、中学校時代はいかがでしたか?

祐子さん:上の子供たちのときから、不登校や宿題をやらない問題があったので、3番目のこの子に至っては宿題やっていたかどうかも分からないくらいで。それくらい、おおらかに過ごしていました
小学校2年生のときに学校に行きたくないと言ったときがあって。上の子が不登校だったので、そのときも気持ちをすぐに受け入れました。「一日おきの登校をする」とか言うんです。おもしろいですよね。水曜日に「通級指導教室」に通っていたので、学校へは月曜と金曜だけ行って、火、木曜はお休みにすると。たぶん疲れていたんでしょうね。でも子供なので「疲れている」ということを伝えることが難しかったんだと思います。それで1学期そういった登校スタイルをとって、2学期になったら普通に学校に行くようになったりしたんです。
基本無理強いせず、本人の意思を尊重してきました。なんてかっこいい言い方になっちゃいましたけど、子供が4人いるのでそこまで手が行き届かないというのもあって、のびのびと育ってきたと思います。

※通級指導教室……通常の授業とは別に、障がいに合わせた特別な指導を受ける教室のこと。

中学校では、まず先生に障がいのことを伝えました。
私、最初に伝える際に、いいところをたくさんお伝えするんです。「本当に優しくて、癒やされる子なんです」と。それを伝えた後で繊細な部分などを説明するんです。そうすると先生にもいいところがインプットされるようで。
先生の影響ってすごく大きいんですよね。先生が息子を肯定的に見てくれたおかげで、それがクラス中に波及しているようでした。同級生たちも息子のことを「おもしろい」「やさしい」「背中に羽が生えている(天使みたい)」と言ってくれて。保護者会に行くと、「あなた堀内くんね!あなたが堀内君のお母さん!」と保護者のかたにまで声をかけてもらいました。いわゆる人気者だったんですよ。それって、先生が本人のいいところをまっすぐ見てくれたおかげだと思うんです。「あなたの人を思いやる気持ちが私の支えでした」と先生が通知表に書いてくださったこともありました。不登校のときもあったのですが、先生方にはとても大切にしてもらいました。

―――診断を受けたのが小学校2年生、本人への告知は中学校2年生とのことですが、そのときのエピソードを教えてください。

拓人さん:診断を受けた小学校2年生のときのことは正直覚えていなくて。知的な遅れがなかったので、自分が障がい者という認識はずっとありませんでした。
中学2年生のとき、ADHDについて書かれた「おっちょこちょいにつけるクスリ」(ぶどう社)という本を読んで、書いてあることが自分に当てはまることに気が付いて。それで漠然と自分もそうなんだなと思い、母に訊ねたところ「そうですよ」と。

祐子さん:私の障がい観というのが非常にポジティブなものなので、「障がい=マイナス、劣っている」と思っていないんです。長い歴史の中で、障がいを持っていてもそれを受け入れてきた素晴らしい方々がたくさんいらっしゃいますよね。そんな思いをそのときに伝えました。
親の障がい観によって、子供がどう受け止めるかが変わってくると思います。

「この子大丈夫か?」という気持ちは必ず本人に伝わってしまう

―――中学時代卒業後は、専修学校へ進学をされたんですよね。

祐子さん:調理師の免許と高校卒業の資格がもらえるとのことで、高等専修学校へ進学しました。中学校2年生のときから何度も見学・体験に通って本人が決めました
ところが専修学校1年生のとき、遅刻や忘れ物が多くなって。忘れ物をすると調理の実習に参加させてもらえないから、わざと忘れ物をしていくんです。なんか変だなと思っていたら、「やめたい」と言い始めて。この先どうしたらいいのかと思いつめていたようです。
私は「専修学校と提携している単位制の高校に移ることもできるし、通信制の高校に行くことや、高校卒業認定試験を受けて進学する道もある」といくつかの道を伝えました。本人が考えて、単位制の高校に通学することに。高校では成績が上がり、大学に推薦で行けることになりました。本人が進学したいというので理由を聞いたところ「今就職できる気がしない」と。
消極的な理由に感じますが、今社会に出るよりも、大学でいろいろ学んでから社会に出た方がいいと思い賛成しました。

―――大切な場面では必ずご自身の意思で道を決断しているんですね。

祐子さん:そうなんです。親は情報を提供するだけで、大切なことは本人が決めていくんです
高校時代も大学時代も休みがちではあったんですが、出席日数や単位のギリギリ限界を自分できちんと計算して休むんです。「私に任せてください」と言いながら。親としては心配になっちゃうんですが、本人が自分で調整して進めていくのでそれを見守っていました。
うちは小さいころから、「これをするよ」と親が決めるのではなく「行きたい人~?」「やりたい人~?」と聞いて決めてもらっていました。「どっちでもいい」といったときだけ、「それは答えになっていないから自分で決めなさい」と伝えてきました。小さいときから自己決定の場が多かったというのは、大きかったと思います

拓人さん:それが小さいころから当たり前のことでした。

―――高校、専修学校の先生はいかがでしたか?

祐子さん:小中同様、高校、専修学校では先生に障がいについて話しました。寄り添ってくださり、息子のいいところをよく見てくださる先生が多かったです。
ただ、高校に通っていたときのことです。地元には幼馴染の友人がいるのですが、高校ではなかなか友人ができなかった本人に対して、担任の先生が「こんなんで大学でやっていけるんですか」と言ったことがありました。もう大学の推薦が決まっているタイミングだったので、気持ちよく送り出してもらいたかったとすごく心に引っかかりました。やってみなくては分からないことなのにそんな否定的なことを言うなんて。
先生には肯定的に子どもを見てほしいんです。「この子大丈夫か?」という気持ちがあると、必ず本人に伝わってしまいます

障がいを「甘える武器」にしていた自分を変えてくれた先生

―――大学ではいかがでしたか?

拓人さん:大学は発達障がいのある学生がサポートを受けられるんですが、それを受けず、特に誰にも障がいについて伝えていませんでした。
すごく授業が面白くて尊敬している教授がいて、3年生のときにその教授のゼミを受けることにしました。ただ、先ほど母が話した高校の先生のエピソードがありましたが、実際高校の先生が言ったことは正しくて(笑)。本当に友達ができなかったので、そのゼミがすごく厳しいのを知らなくて…。途中で続けられないと判断しました。教授にやめたいと伝える際、「障がいがあるから」と言えばすぐに納得してもらえると思っていたんです。でも教授はそんなことは意に返さず、「本当に君のことを思っている」という態度で向き合って引き留めてくれました。2時間くらいじっくり話をして、ほかのゼミを紹介しようかとも言ってくれて。
正直に言うと、それまで「障がいは甘える武器」だったりしたんです。でも、障がいではなく自分のことを見てくれているのが伝わってきて。自分にとって「障がい=アイデンティティー」になっていた部分があったので、障がい以外の部分を重要視してくれるんだということに感動して。自分でもそういった部分を伸ばして頑張っていきたいと思うきっかけになる出来事でした。

―――いい先生との出会いだったんですね。そのほかにも影響を受けた先生はいましたか?

拓人さん:高校時代の倫理の先生です。
専修学校をやめたとき、かかったお金が無駄になってしまったことに罪悪感があって、自分を肯定するために過剰にいいことをしていた時期がありました。道のごみを全部拾うとか、倒れた自転車を直すとか…。
そんなときに出会った先生でした。熱意のあるタイプではなく、どちらかというとぶっきらぼうな先生だったんですが、生徒の人気を得るために話しているのではなくて、一人の人間として意見や価値観を話してくれている気がして心に響きました。
劣等感と罪悪感まみれだった当時の自分には、そのまっすぐで素直なあり方がとてもすばらしく見えました

祐子さん:その先生に卒業式で初めてお会いしたとき、「堀内君は生きづらさは抱えているだろうけど、本当に立派なお子さんです」と言ってもらいました。息子を丸ごと受け入れて、さらにいいところを見てくれていたんだと思って、忘れられない先生です。

障がいを隠すことに葛藤した就職活動

―――就職活動についてもお聞かせいただけますか?

拓人さん:働くことへの不安はずっとあって、やりたいことも未定でした。そんな中でも興味のある会社の面接を受けたのですが、ことごとく落ちてしまって。もちろん落ちた理由はいろいろあると思いますが、その中の一つに障がいを開示したこともあったと思います。父が仕事柄採用に携わっていたのでアドバイスをもらって。自分をよく見せようとしたりすると必ず分かってしまうから正直に答えることが大切と言われていました。だから、開示しなくても面接中に気づかれるだろうと思い必ず伝えていました。
でも、障がいを伝えた瞬間、面接官の温度がすっと下がる感じがするんですよね。最終的に、もう落ちまくって後がないというタイミングで開示せずに面接を受けました。自分は障がい者手帳を取得していないので、クローズ就労という道を選ぶことにしたんです。その結果、2社から内定をもらいました。でも隠すことへの葛藤は大きかったです。

※クローズ就労……障がいがあることを非開示で企業に就職すること。障がいを開示して働く、もしくは障がい者雇用枠で働くことを「オープン就労」という。

―――学校の就職支援課などは利用しましたか?

拓人さん:頼りたい気持ちはあったのですが、やりたいことが決まっていないということもあり、どうやって頼っていいのか分からなかったです。今考えれば頼ればよかったと思うんですが、当時は自分でどうにかしなきゃという感じでしたね。

祐子さん:ADHDあるあるなんですが、大学の就活ガイダンスの1回目に出席するのを忘れてしまったんですよね。

拓人さん:それでもう自分でやるしかないと思ったんです。

祐子さん:就職活動のとき、落ちてしまった話を聞くと「その会社は本当に残念だったね、うちの子を取らないなんて」とその会社に対して本気で思っていました。受かったときには「なんてラッキーな会社だろうね」と。かなりの親ばかですが…(笑)。

―――お子さんを信じて、いいところを見つめている証拠ですね!

すべてに手を差し伸べなくても自分で考える力がある

―――学生時代、発達障がいの特性で特に困ったことはどんなことですか?

拓人さん:中学、高校時代はフラッシュバックです。いやな出来事や言葉を突然思い出してしまうんです。自閉スペクトグラム症の方に多い悩みだと思います。多動は、足や手を動かせば何とか落ち着けますが、フラッシュバックに関しては苦しみました。例えば、下駄箱で嫌な思いをしたことがあった場合、下駄箱に行くとフラッシュバックが起きるんです。いつどこで起こるか分からないのでとても困りました。

―――フラッシュバックが起きたときはどう対応するんですか?

拓人さん:「〇〇したら治る」という暗示をかけて段階的に克服していきました。最初は「甘いものを食べれば落ち着く」とシュークリームを食べて。そこから「飴をなめたら落ち着く」という段階まで持っていき、今ではそれも必要なくなっています。

祐子さん:どーんと落ち込んでいたときに「血糖値が下がっているから飴をなめて血糖値上げなさい」とさらっと伝えたのを覚えています。
いつもそうなんです。大げさに受け止めすぎないで、さらっと情報提供をするだけ。そうすると、その中から考えて自分でいい方法を見つけてくるんです。

―――すべてのことに手を差し伸べるのではないんですね。

祐子さん:カギは「信頼すること」です。「この子はちゃんとできる。人生の先輩として知っている情報を提供しているだけ」というスタンスでいることが大切だと思います。

サポートのしすぎは「粗さがし」に。ただまっすぐ教えること

―――最後に、発達障がいを持っている学生と接するときに先生に心がけてほしいことを教えてください。

祐子さん:その子の肯定的な未来を思い描いてほしい、いいところを見てほしいという思いがあります。
できないところをサポートしてもらうのはありがたいのですが、そこにフォーカスしすぎると「粗さがし」になってしまうことがあるんです。サポートって「これができないんだな」「これが苦手なんだな」というのを探す形になるので、そうなりがちなんですよね。
でもそうではなく、その子のすてきなところを見つけていくことが重要だと思います。

発達障がいがある場合、どうしてもポーンと抜けている部分があると思うんです。例えば息子の大学時代、学校に行く途中で電車が止まってしまったことがありました。大学生にもなれば、どうしたらいいか分かるだろうと思うかもしれませんが、本人はさっぱり分かっていなくて親に電話をしてくるんです。「電車が止まったんですが、どうすればいいですか?」って。私はそういとき、「これは教えどきだ!」と思うんです。「駅で配布されている遅延証明書をもらって先生に出せば、欠席になりませんよ」と丁寧に伝えたら、次に同じことがあったときは自分で対応していました。
「こんなことも分からないの?」という態度で接するのは違っていて、分からないから聞いているのだから、普通に教えればいいだけ。そこにあきれたような感情が入っていたら、必ず相手に伝わってしまいます。

私は今、放課後等デイサービスで働いているんですが、昨日学校に傘を忘れてしまった小学生のお子さんがいて、「先生、お母さんに傘を忘れたこと言って」と。
私は「ご自分でお伝えくださいね。ご自分でできることはご自分で」と答えました。その子はきょとんとしていましたが、独り言で「ご自分で、ご自分で」とつぶやいたあと、お母さんに「傘忘れちゃった」と伝えていました。お母さんは「あら、そうなの」と普通に応えていました。その子は少し歩いてから振り返って、「先生、大切なことを教えてくれてありがとう」って私に言ってくれたんです。
「自分でできることは自分でやる」と教える。本人がそれを理解する。ただ、それだけ。
「そんな簡単なこと自分でやりなさい」と変な感情を入れなくていいんです。ただ教える。違うときには「それは違いますよ」と教える。それだけでいいんです。「教えどき」と思えばいいんです。そういう風に認識して接するとだいぶ変わってくると思います。

親はわが子がかわいいし、いいところを伸ばしてあげたいと思って接していますが、学校で打ちのめされてくることがあります。先生にも、「いいところを見る」「教えどきを見逃さない」そういう目線をもってもらえるとありがたいです

拓人さん:先生には自分の考えを伝えてほしいなと思います
人生を振り返ると、先生の考え方に影響を受けることが多かったなと思うんです。例えば、ある先生が「申し訳ないって言ってくるような奴はダメだ」と話していて、「どうして申し訳ないがダメなんだろう?」ってすごく考えるようになりました。考えて調べて…その結果「口先だけで申し訳ないと言うのではなくて、心からそう思って態度で示すことが大切なんじゃないか」という考えに行きつき、それは人生で大事な教訓になっています。
先生は正しいことだけを言うのではなくて、考え方や価値観を伝えてくれれば、学生が自分で考えるきっかけになるんだと思います。

最後に……

コミュニケーションや教え方・伝え方が難しい学生への接し方はもちろん、障がいのありなしに関わらず、すべての学生と接するときに大切な考え方を教えていただけました。

「粗さがしでなくいいところを見る」
「教えどきを見逃さない」
「先生の考え方をまっすぐに伝える」

おふたりが教えてくれた考え方が、学生と向き合う際のヒントになれば幸いです。

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